プロフィール
てる
長岡市大積高鳥町に住んでおります。
爽やかな空気と、あちらこちらに美味しい清水が湧き、早春から晩秋まで鶯が鳴いている穏やかな里山の様子をレポートしたいと思います。
戦国時代に枡形城があった枡形山の麓にある村ですが、今は過疎と高齢化が深刻な問題となってしまっています。
里山の復興を願ってホームページとブログを始めました。
里山便り(長岡市大積高鳥町から)のHPです。

http://www.geocities.jp/highbird331/index.html


人気ブログランキングへ
新潟ブログポータル!LogPort
新潟ブログポータル!LogPort
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 8人
QRコード
QRCODE
カテゴリ
里山便り(長岡市大積高鳥町から)のホームページもどうぞ御覧下さい。       http://www.geocities.jp/highbird331/index.html

2012年01月19日

古文書1

2012年スタート早々から忙しい日々が続いています。
昨年と同じような話題にならないように考えていたところ
思いがけず古文書を見つけたので投稿しようと思います。
拙宅の床の間の小棚にしまってあった古いカバンの中に
高鳥の枡形神社に関する資料がありました。(コピー物です)
明治42年に神社を新築した時の寄付金募集帳です。
当時の高鳥は多くの家が有った様で沢山の記録がありましたが、
一部分だけ紹介します。
合計500円ほどのようですが、現在に換算するとどの位なのでしょうか?
当時の高鳥はどんなだったのでしょうか?
超ローカルなプチヒストリアってとこですけど、御先祖様に思いをはせてみるのも良いことではないかと思いました。


この記事へのコメント
凄いですね!私はこの古文書に出てる佐藤吉平の子孫です。名前の下に書いてあるのは職業でしょうか?
とても気になるので是非教えてください。宜しくお願い致します。
Posted by 佐藤貴之 at 2017年10月18日 20:18
佐藤貴之 様
コメントありがとうございます。
小生も吉平の子孫です。吉平は曽祖父に当たると思います。吉平の下に書いてあるのは屋号だと思います。「中屋敷」と書いてあります。その右横には(2男)と書いてあります。
2男とありますが、吉平が跡継ぎだったと思いますので、多分長男は幼少で亡くなったのではないかと思いますが、記録は残っていません。尚、現在は小生が中屋敷を継いでいる立場にあります。
小生も歴史には興味があります。実は、拙宅の本家には過去の資料が沢山残っています。本家はもう高鳥には住んでおられませんがご主人に歴史的な詳しお話を伺う事は出来ます。ご希望であれば、お願いすることも出来ると思います。
差し支えなければ貴之様と吉平さんの系譜をもう少し詳しく教えて頂ければありがたく思います。ご先祖が高鳥に住んでおられた時の屋号など分かればありがたいです。
Posted by てるてる at 2017年10月19日 18:27
私も歴史に興味があり、今度機会があれば関原にある新潟県立歴史博物館に行って酒造業者の古文書を見てみたいと思っています。(ここロンドンの新潟県人会に参加した時に新潟の歴史で上杉謙信や戦国時代の話が出ました。)それで、枡形城/山で検索していたらこのてるさんのブロッグに出会ったという次第です。
Posted by さかや at 2017年10月19日 19:38
さかや 様
いつもコメントありがとうございます。
新潟県立歴史博物館では今、秋季企画展「川中島の戦いー上杉謙信と武田信玄ー」を開催しています。といってもロンドンにお住まいなので見に来て頂くことは難しいと思いますが。
ご参考で新潟県立歴史博物館のHPは
http://nbz.or.jp/
枡形山城址は下記などがあります。
http://blog.goo.ne.jp/gu_chan_00/e/e8c3b25e8130cc7f568df1b6a46e6e7e
ご一覧頂いて昔を思い出して頂ければと思います。
Posted by てるてる at 2017年10月20日 10:08
ありがとうございます。調べたところ、私が間違っていました。屋号は由兵衛でよしへいと読むらしいです(^-^;
お墓には文政13年と書いてあったと思います。依然は枡形神社の墓地にありました。ただ、
Posted by さとう at 2017年10月21日 10:04
さとう 様
コメントありがとうございます。
10/21(土)に枡形神社の秋祭りがありまして村の人が集まったので(といっても全員で10人程)由兵衛さんの事をちょっと聞いてみました。「よしへい」ではなくて「よしべい」と呼んでいたそうです。小生も「よしべい」は記憶にあります。とにかく昔は高鳥も50軒以上の家がありましたから賑やかだったと思います。神社も50軒の人たちが集まる場所でしたからおおきな建物です。でも今は、10人程度の人口で更に高齢者ばかりなので今後益々、神社の祭礼や建物の維持が厳しくなります。
高鳥に限らず、全国的にも過疎高齢化の問題が大きくのしかかっています。
Posted by てるてる at 2017年10月22日 17:53
さとう 様
神社の脇の土地にお墓が沢山あって「おおはかば」と呼んでいました。今はお墓もそれぞれの菩提寺などに引っ越して数件分しか残っていません。杉の木が沢山植えてあって巨木になってましたが、数年前に切り取られて昔に比べるとスッキリした状態になっています。
小生が、小学生の頃の夏休みには村中の子供たちが神社に集まって夏休みの宿題をして、その後、鬼ごっこをして遊んだ思い出があります。今は子供が一人もいません。寂しいです。
Posted by てるてる at 2017年10月22日 18:07
ありがとうございます。
秋祭があったんですね!
次は春ですかね?お参りに行こうと思います(^^)
Posted by さとう at 2017年10月23日 15:04
さとう 様
コメントありがとうございます。
春祭りに是非おいで下さい。
春祭りの予定が決まったら、このHPでお知らせしたいと思います。

補足:吉平の事ですが、小生の曽祖父の吉平は「きちへい」と読みます。拙宅の屋号は現在は「なかやしき」ですが、その昔は「きちべい」だったらしいです。吉平の更に先祖は吉兵衛だったようで、屋号も「きちべい」と呼ばれていたようです。
Posted by てるてる at 2017年10月24日 22:27
このブログを呼んでいる方々とそのネットワークで春祭りの日にお参りも兼ねて枡形神社に集まると楽しいですね。
Posted by さかや at 2017年10月27日 05:22
ありがとうございます。
由兵衛知っておられたのですね!
初代由兵衛は1827年(75才)に没したとなっているのですが、さすがにその時代の資料なんてないですよね?(^-^;
Posted by さとう at 2017年10月27日 23:04
さかや 様
春祭りの日は例年、午前中に神社と境内の掃除をして、午後1:00から宮司様に来ていただいて神事が行われています。皆でお参りをしてその後、直来(なおらい)と言って皆で宴会を行います。昔は皆で手料理を持ち寄って賑やかに行われましたが、今は料理の持ち寄りをやめて折箱を注文しています。宮司様もご高齢ですが、参加してくださって、高鳥のお祭りが楽しみだと言ってくださっています。
さかや様のコメントの様に皆様に集まっていただいて親睦を深めていただければ大変ありがたく思います。
Posted by てる at 2017年10月31日 09:24
さとう 様
コメントありがとうございます。
1800年代となると資料は分かりませんでした。
市役所の戸籍課などで古い戸籍を見ることはできると思います。それから菩提寺に過去帳があれば参考になるかと思います。高齢の方で高鳥の歴史に詳しい方に尋ねてみるも良いかもしれません。例えば、さかや様がコメントで提案してくださった様にお祭りに参加していただいて、その時に聞いてみるのも良いと思います。
Posted by てる at 2017年10月31日 09:44
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。